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【読書記録】今夜、もし僕が死ななければ – 浅原ナオト

小説

書籍紹介

  • 著者:浅原ナオト
  • 出版社:新潮社
  • ページ数:336

ざっくりあらすじ

今作の主人公、新山遥。10歳で交通事故に遭って以来、彼は死期が近づいてる人を見分ける能力を手に入れる。幼少期のある軽経験から、死期が迫る本人に直接伝えることを信条としている。彼を知る人からはその姿を死神と呼んでいる。

いつしか「人はいつか死ぬものだ」と死に慣れていく自分に嫌気を感じ、死期を見る能力の意義を見いだせずに悩む遥。24歳を迎えた彼に子供が誕生するが、そこには「死」の印が見える。

感想

今回紹介するは、人の死期が見える特殊能力を持つ男の子が主人公の短編集形式の小説。妻に先立たれた末期がんの夫、余命幾ばくもない娘を想う母親、ホモセクシャルのパートナー、新しく生まれてくる子供という様々な境遇の人物にスポットが当てられ物語は進みます。新山遥という主人公は立てつつも、作品後半まで語り手・メインキャラクターは別の人物です。遥は脇役的なポジション。でも短編通して遥の成長が見れるという面白い構成になってます。

『カノホモ』や『御徒町カグヤナイツ』など、著者の作品はいくつか読んでいて、新作ということで手に取りました。ライト文芸で気軽に読めるんですがテーマが重いので、なんだか矛盾した感覚があったなと。今作のテーマは死についてストレートに扱っています。他の作品でも「生と死」というテーマが根底に流れている印象があったのですが、著者は一貫したテーマを意識しているのかなと思いました。

それにしても、遥が死期が迫る本人に直接伝えるの度胸あり過ぎて笑ってしまいます。僕だったら、というか現実だったら不審に思われるのでやらないですよね。これも小説ならではの良さでしょうか。この突拍子もない主人公の行動は幼少期の体験にルーツがあります。一応理由があったんですね。そのルーツは作品終盤で描かれていて感慨深かったです。

ちなみに僕は第1幕がお気に入りです。

死が身近にある主人公

「死期が見える能力」というと中二病的なカッコよさを感じますが、日常的に他人の死期が見えるというのも考えものだなと思えました。「あの人もうすぐ死んでしまうんだな・・・」とか毎日思うのは、精神的なダメージが高そうです。

前方から、年老いた女性が歩いてきた。

脈拍が少し速まる。まだ見える距離ではない。十メートル、五メートル、三メートル。胸の上に「海」は―

浅原ナオト『今夜、もし僕が死ななければ』位置3183(Kindle)

「海」というのは遥が死期が見えた相手の胸の前に現れる水球のこと。これが見えると死期が近づいてる証です。遥は本人に死期を直接伝えることをモットーとしているので、寿命が短そうなお年寄りを見ると緊張状態になるようで。

ちなみに見えるのは病死・自然死のみで、事故死・自殺は見えない能力の制限があります。この設定も一応理由があるですが、ぜひ本書を読んでみてください。

メメント・モリ的なメッセージ

メメント・モリというのはラテン語で「死を思え」を意味する警句です。「人はいつか死ぬことを思って今を楽しむ」という世界中で使い古された言葉ですが大事な考えですね。このメメント・モリの考え方を表したのが今作なのかなと思います。死を迎える人の心情、残された人の感情をバランスよく描くことで生きることを思い返させる、そんな気がします。

死を考えると、おのずと生のことを考えさせられる。遥は他人の死を見ることで自分の人生を見つめていました。作中を通して特殊能力の意義を模索し続けているし、人の死に慣れすぎて人間性を失っているのではないかと悩みます。こういう側面を見ると、人に死期を告げて俯瞰的な立ち位置にいる主人公も人間味があるなーと思えますね。

僕は自分の能力で、たくさんの『死』を見て、告げてきました。でもその中に、どうせ死ぬのならば今すぐにしんでしまおうという人は、一人もいなかった。

浅原ナオト『今夜、もし僕が死ななければ』位置1877(Kindle)

「人はいつか死ぬ」と頭では理解してますが、じゃあ現実味を持って感じられているかというとそうでもない。死が目の前に迫って初めて生きる尊さを実感する。だからこそメメント・モリという言葉が生まれたのかなと。

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