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ヘヴン – イジメの描写が生々しい

小説

読んだきっかけ

友人からもらった積読本の消化

ざっくりあらすじ

  • 1991年 中学2年生の「僕」はクラスメイトからイジメを受けていた
  • 斜視の「僕」はロンパリと呼ばれ、コンプレックスを持っている
  • ある日、机の中に短い手紙が入っていた。差出人は不明
  • 手紙には「わたしたちは仲間です」という一文のみ
  • 定期的に手紙は届き、ついに差出人と会うことに
  • 手紙の主は「コジマ」という同じクラスの女子生徒だった
  • 彼女は常に身なりが汚く、そのせいで同じくイジメを受けていた
  • 徐々に交流を深める2人。夏休みに美術館へ一緒に出かける
  • エスカレートするイジメ、「僕」とコジマの密やかな関係。
  • 明と暗を行き来する物語は予想しない結末へ

感想

イジメのシーンが生々しくて読むのがキツい!一方でクラスメイトのコジマとのシーンは微笑ましくて心が和んだり、といった具合で振り幅が広い作品。

キツいシーンと和やかなシーンを行ったり来たりするから、読んでで複雑な気分になりましたねー

この作品はいわゆる勧善懲悪ではないので、イジメてくる二ノ宮たちは何も処罰は受けないし、そもそもイジメは解決しないオチ。

おまけにコジマとは物語後半で仲違いしたまま二度と会わなくなる。「僕」も今後どうなるか分からない。

転校するのか、イジメの解決に向けて行動するのか、以前と変わらずイジメに耐え続けるのか・・・何もかも不透明なまま終わりを迎え・・・

純文学っぽくて、ハッキリとした分かりやすい結末は提示されず、読む人によっては不満を感じるかもしれないかも。

僕といえばは読み終わった後モヤモヤした感じでしたが、「これが現実だよなー」とも思い直したとのろ。

全てが解決するのはフィクションだけ

イジメはスパッと解決なんてしない。苦しみを抱え、耐えながら人生は続いていくのが実際だよなーと。

「何もかもスッキリ解決するなんてのはフィクションだよ」とフィクション作家に言われている気もしました。

とはいいつつも、まったくお先真っ暗、何も希望なしなエンディングってわけでもないのが後に残る作品であるゆえん。

「僕」は最終章で生まれつきの斜視を手術する。手術後に歩き慣れた道を見てこう感じる。

なにもかもが美しかった。これまで数え切れないくらいくぐり抜けてきたこの並木道の果てに、僕は初めて白く光る向こう側を見つけたのだった。僕にはそれがわかった。僕の目からは涙が流れ続け、その中で初めて世界は像を結び、世界には初めて奥行きがあった。世界には向こう側があった。

出典:川上未映子『ヘブン』p.311

「僕」の心の変化と、未来の暗示を重ねてるかのよう。学校という閉鎖された環境、イジメという抑圧された状況に縮こまりきってしまった「僕」の心が解放されていくように読めます。

世界は学校だけじゃない、いま所属してるコミュニティだけじゃない」「同じ物事でも視点を変えれば良いものに見える」と。

片目で見てたものを両目で見れば、通い慣れた並木道でも美しく見える。永遠に変わらないと感じてた環境も、視野を広げればそんなことない。

深読みかもしれませんけど、主人公の幸先をなんだか感じさせるエンディングでした。

「ヘヴン」とは何だったのか

前述したとおり、この作品は問題の解決や伏線回収はあまりされません。

個人的に気になったのはタイトルでもある「ヘヴン」について。一応、物語中に言及はされますが、どうやらコジマのお気に入りの芸術家の作品のことらしいです。

でもある章のワンシーンに出てくるだけで物語に深く関わらないんですよねー。「コジマのとても思い入れのあるものらしい」ということまで分かるんですが、それっきり以降の話には出てきません。

「え、なんでそれタイトルにしたの?」思わず・・・誰か意味を教えてください。

追い込まれると思考停止する

主人公の語りを読んでるとふと思ったのが、暴力を受けたり暴言を浴び続けると人の視野は狭くなって、縮こまって、環境を変えなくなるってしまうと。

学校は典型的な例だけど、会社も当てはまりますよね。上司のパワハラとかブラック企業とか。ネガティブな気持ちが続くと、ひどい環境でも逃げ出せなくなる。

レビューでは伏線が回収されてないとか、話が暗いとかで賛否両論な感じだけど、僕にとっては印象深い1冊でした。何気なく読んだ積読本だったけど、掘り出し物。

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