読んだきっかけ
前作「忘れられた巨人」から6年ぶりの新作。
カズオ・イシグロはお気に入りの作家の一人。というわけで、さっそく読んでみた。
ざっくりあらすじ
- 主人公はAF(人工親友)と呼ばれる人工知能を持ったクララ
- クララは町の雑貨屋で売られていた
- 偶然、病弱な少女のジョジーが店に立ち寄り、二人は出会う
- ほどなくしてクララはジョジーに買われ、彼女の家で過ごすことに
- AFはそれぞれの個体にユニークな特徴を持っている
- クララには並外れた観察力と学習意欲を備えていた
- はじめて外の世界を体験するクララ。見るもの全てが新鮮だった
- ジョジーの性格、家庭環境、この世界の格差社会を学習していく
- クララとジョジーの出会いと別れを人工知能の視点から描いた物語
感想
著者独特の「記憶」や「信頼できない語り手」のテーマは相変わらずといったところ。いくつか伏線回収もあって読み応えもあったりするけど、物語の世界観やキーワードなど謎は謎のまま残される感じ。いつもの著者らしい。
今回は初めての人間以外の語り手、しかも人工知能というのがポイント。人間だったら記憶の曖昧さや思い込み、嘘などの要素を利用して、記憶にまつわる問題提起がされていた。
しかし人工知能だとそうもいかない。そこで「学習不足の人工知能」「人工知能の視点で描かれる人間社会」という要素を持ち出すことで「信頼できない語り手」を仕立て上げてる点が印象的だった。
「AIロボットと少女との友情を描く感動作」という触れ込みはちょっと疑問。
今まで読んできて感じるのはカズオ・イシグロ作品ってそんなハートフルじゃないよねーと。いつも何かしら問題を投げかける形でスッキリ終わらないし。
さまざまな問題提起
さっき書いたようにカズオ・イシグロ作品は一貫して「記憶」というテーマを主軸にして問題提起を繰り返している。
今作は遺伝子操作で人工的に能力を得ることで生まれる格差など、SFの設定を通して、より社会的な問題に焦点を当てて警鐘しているように感じた。
格差社会、遺伝子操作、発達するAI技術などなどトピックが盛り込まれているのだが、結局は「人間らしいものって何?」という問いかけに収斂している気がする。
クララが住む世界の住人はAFは便利な存在であると認めつつも、恐れられ排斥の対象となっている立ち位置だ。
AFは賢くなりすぎた、中で何が起こっているかわからない、だから怖いと言う。AFの行動なら見えるし、AFの意思決定やお勧めは堅実で信頼できて、ほとんどの場合、正しい。だが、どうやってその決定やお勧めに至ったのか、それがわからないのが気に入らないと言う。AFへの反感や偏見は、そこからはじまっているんだ。
出典:カズオ・イシグロ『クララとお日さま』
引用はAFの科学技術に心酔する登場人物のセリフ。彼は「人の身体も心も人工知能でコピーできる」と主張するようなキャラクターだ。
こうしたキャラクターを起用することで「人間と人工知能の違いって何?」と著者は問いたいのかなと。なんだかフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』みたいだなーと思った。
人間と人工知能の違い、著者の答え
物語終盤ではクララのこんなセリフがある。
特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。
出典:カズオ・イシグロ『クララとお日さま』
いろいろトピックで問いかけてきた物語だけど、このセリフが著者の答えなんじゃないかなーと。ちなみにこのセリフ、あまりにあっさり書かれててスルーしてしまう。
読みはじめは「あんま記憶と関係ないテーマかな?」と思ったけど、このセリフを読んでやっぱり大テーマと繋がってたんだなと感じた。
ここは今まで紆余曲折あったストーリーを思い返すと、寂寥感いっぱいでやるせないシーンでもあるなぁ。
派手な物語ではない。ちょっと話も長い。だけどクララがなんとも優しい人工知能で、穏やかになれる。海外の純文学でも読んでちょっと考えに耽ってみたいという人は読んでみては。
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