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安楽死を遂げるまで – 理想の死に方を考える

ノンフィクション

読んだきっかけ

以前に読んだ『ドクター・デスの遺産』に著者の解説が収録されてて、本書の紹介を目にしたので購入。小説を読んでから安楽死について興味を持ったので読んでみました。

ざっくり要約

  • 欧米の安楽死事情を取材したノンフィクション。
  • スイス、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペイン、日本の事情が書かれる。
  • 日本編では実際の「安楽死事件」の当事者、関係者に取材。
  • 安楽死希望者、遺族、自殺幇助団体、施術する医師、賛成反対する人、様々な視点から安楽死を思索する。

感想

案の定かなり重たい読後感だった。随所に安楽死を決心した経緯や遺族の思いが語られる。末期がん患者の身体的な痛み、精神病患者の苦悩、残された家族の悲しみエピソードが盛りだくさんだ。

書かれているのは様々な国、様々な立場の人を取り上げた多角的な安楽死事情。日本では認められてなくてタブー視すらされている安楽死。そんな日本の状況とはまた違った海外の雰囲気がわかる。合法な国や地域もあるけど、やっぱり反対してる人たちもいるんだなー。

あと、取材を通して多様な意見と価値観に触れて、著者の安楽死に対する考え方の変遷も書かれているのも興味深かった。一つの物の見方で断定せず、著者自身の揺れる価値観とか、ただ事実を伝えるジャーナリストとしてだけじゃなく、人間味が伝わってきた気がする。

死生観の違いと理想の死に方

本書では取材が進むに従って、安楽死の是非というよりも欧米とアジアでの死生観の違いに焦点が移っていく。

欧米:生きる権利と同じく死ぬ権利も個人にある(個人主義)

アジア:家族や集団に負担・悲しみがないか優先的に考慮する(集団主義)

個人の意思を尊重する欧米的な価値観と、家族や周囲の人との繋がりに重きを置くアジア的な価値観。主義や価値観の違いによって、安楽死の賛否が分かれるのでは?

また、どういう最期の遂げ方が「理想の死に方」になるかにも影響するのでは?という結論に至る。僕個人としてはどちらかと言えば個人主義的だなーと思った。

以下は今回の取材での中心人物、スイスの自殺幇助団体の女性医師(プライシック氏)のコメント。「施術対象の患者と、その家族や親しい人との関係や背景は考慮しないのか?」という著者の疑問に対しての返答。

「私はよく、『人は自らの死を選び、他人は人の死とともに生きる』と説明します」
つまりは、彼女が死を決めた以上、プライシックを含めた「他人」はそれを受け入れることしかできないということだろう。

出典:宮下洋一『安楽死を遂げるまで』p.272

ここの文章にとても納得。

あくまで生きるも死ぬも自分で決めること。周囲の人との関係より、自分の内側から出てきた意思を優先して考えるなーと。

日本編だけ異色

本書は日本で実際に起きた「安楽死事件」の当事者・関係者も取材している。欧米中心の舞台に一つだけアジア圏の国が取り上げられていて、死生観の差異が浮き彫りになる。

しかし日本編の内容は、いかんせん事件性が色濃い。たしかに現状は法律で認められてないから当たり前だけれども・・・ゆえに事件のあった病院内の政治、責任のなすりつけ合いに終始してるなーと思った。

欧米編で支配していた患者や遺族たちの感傷的な雰囲気はどこへやら。彼らは引け目なく堂々とインタビューに応じていたのに、日本編ではなんだか人目をはばかるような雰囲気。

現時点での日本では違法ってのもあるし、やっぱタブーって感じなのかね。

「安楽死は本当に患者とその家族のためになるか?」という議論よりも、「責任の所在」に当事者たちの焦点は向いていている。日本での安楽死議論は時期尚早と言われているのに納得という感じ。

個人的には安楽死が認められてもいいんじゃないかなーと思ってる。死に方の選択肢は幅広くあってもいいじゃないかなと。

セデーションや延命処置の中止の他に安楽死も加えてみる。特に末期がん患者のエピソードを読むと、なおさら感じてしまう。とは言っても僕は自殺願望は無い。

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